いったいどうすれば、ヒトは『元気』であり続けられるか、『元気』を取り戻してもらえるのだろう。セラピストという職業に就いてから18年間ずっとそのコトだけを探求してきました。
リフレクソロジーを身につけたところから始めたサロンワークですが、保険に守られていない民間療法は、ミラクル的な結果を出さなければお客様は定着しません。継続して利用していただくには1つの手技では限界があり、整体やリンパドレナージュ、アロマテラピー、五感ケア、栄養、植物療法など、新しい療法を学び続け徐々にボディケアからメンタルヘルスケアまで対応する『健康サロン』へと進化してきました。
さらにセルフケアを伝えるため教室を始めました。勉強に来られるヒトの中には医療従事者、鍼灸師の方が増えました。
ボディケアのポイントを伝える際、「メジャーじゃない筋肉を重要視するんですね」とよく言われます。
そのベースはハワイ大学医学部へ行き、予防ケアや身体の機能を改善するためにアプローチするにはどこが重要なのか確認したくて人体解剖研修へ参加し、その時得たコトを介護、医療のリハビリ現場で実践して効果を出せたのが確信へと変わり、自信を持って伝えられるようになったのだと思います。
そして、実生ゆずを探究して、たどり着いた貝原益軒の『養生訓』の教え。
古典は難しいので『すらすら読める養生訓』立川昭二著者(講談社)を毎日少しずつ音読しています。
音読するたび(そう!私が追い求めた未病ケアの本質はこれだ!)感動しています。
何に感銘したのか、立川昭二氏の著書から一部引用してご紹介しますね。
「元気は人身の根本なり」
人の元気はもともと天地(宇宙)の万物を生じた気であり、この気が「人身の根本」である。気あるいは元気こそ、「人身の根本」「生の源」「命の主」であるから、養生はこの気をたもち、元気をめぐらすことにある。
著者は貝原益軒の『気』の考えは中国の気の学説に影響を受けているが、『養生訓』にみられる「気」そして「身」の考え方は日本人特有のメンタリティ(心性)にもとづくところがある、と述べられています。
益軒はよく「身(み)」ということばを使っているが、それはたんなる身体のことではない。日本人独特の「身」という考え方が背後にある。『身』とは、体と心をわけない日本人の考え方をよく表わした言葉。ヨーロッパ流のマインド対ボディという二分法的な考え方ではなく、心身相関の考え方。『気」という思想は、この「身」という考え方とむすびついている。さきの「心気」「血気」ということばにみられるように、心にも血にも同じ気があり、気が巡っている。その気によって人のからだは保たれ動いている。
こうした考えは、私たち現代人に馴染み深い解剖生理学にもとづく近代西洋医学の身体観とは根本的に異なる。近代西洋の身体観は、いわば固体的・空間的・部分的な考え方(註・客観的身体観)である。それに対し、この『養生訓』にみられる「気」を基本とする身体観は、いわば液体的・時間的・全体的な考え方であり、心身相関の考え方(註・主体的身体観)である。
実生ゆずを活用する『未病ケア』は日本の風土、民度に合うと思いますし、これが新しい文化として次の世代へ継承されてやがて伝統になれば、日本古代から生きている、日本の薬草『実生ゆず』も守られるし、ヒトも里山も元気で共存し、身を保つことができる。
そんな妄想を抱き、夢が広がります。
『日本未病ケアスクール』では、このコトを大切に共に学び、体得した者が地域社会、介護医療で実践する活動を展開していきたいと思っています。